三河の国の、まだ小国の領主であった松平(徳川)家康の家臣団の最下層の足軽として「侍人生」をスタートさせた、農民出身の雑兵「茂兵衛」。吹けば飛ぶような足軽を皮切りに、侍としての出世街道を、槍一本で「ちまちま」と登っていく、戦国足軽出世物語の第三弾が本書『井原忠政「足軽小頭仁義 三河雑兵心得」(双葉文庫)』です。
前巻で徳川家康家臣の猛将・本多平八郎の足軽となって、曵馬城攻め、掛川城攻めと転戦して「槍」の腕を磨き、姉川の合戦のどさくさで、親の仇として命を狙ってくる横山左馬之助と「10年後に千石取りになっていないと首を差し出す」という約束した茂兵衛なのですが、初恋の女性・綾女にふられた痛手を胸に、徳川家康最大の危機である「三方原の合戦」に参戦していくのが本巻です。
あらすじと注目ポイント>家康最大の危機「三方ケ原の戦」
構成は
序章 足軽小頭 植田茂兵衛
第一章 遠州一言坂の鬼
第二章 二股城は渇く
第三章 三方ケ原の血飛沫
第四章 犀ケ崖に一矢を報いる
終章 騎乗の身分
となっていて、冒頭のところでは、前巻で自分の嫁になってくれと告白して振られた、曵馬城の城主代理の田鶴姫の侍女をしていた「綾女」が遠江の国衆の息子のところに嫁にいってしまいます。もともと、綾女の父親は遠州曵馬城主であった飯尾家の重臣であったのですから、同じ同郷の遠州の国侍のところで嫁ぐのは、征服側である三河者の「茂兵衛」の嫁になるよりもずっと「あるある」なことなのですが、この「綾女」とはこれ以後も深い「縁」が続いていくことになります。
本編のほうでは、これまでは局地戦に終わっていた武田信玄の軍勢が遠江の本格的な侵攻を開始し、武田軍二万三千の兵が天竜川に沿って南下を始めます。信玄が満を持しての「上洛」の開始ですね。多くの歴史ドラマで、信玄役の重鎮の俳優が「御旗楯無もご照覧あれ」と高らかに宣言して大軍が粛々と進軍を始めるところですね。
で、迎え撃つ徳川勢なのですが、天竜川を渡って東進したところにある一言坂で、本田平八郎軍が武田勢を迎え撃つものの簡単に蹴散らされ、信濃から三河へ侵入する入り口に位置する「二股城」が重要なキーポイントになってくる、という筋立てですな。茂兵衛は、この場面で、主人の平八郎の頼みで、松平一門の若武者である、大草松平家の松平善四郎の寄騎として、彼をサポートして、二股城の籠城戦に加わることになります。
この籠城戦では、城内に水を補給する「水取櫓」を破壊され渇きに苦しむところを、常勝武田軍のシンボル「赤備え」を率いる山縣昌景隊の攻撃などによって城を明け渡すことになるのですが、二ヶ月間の籠城戦で、この松平一門の若武者とともに戦ったことが、茂兵衛の出世に良い効果をもたらすことになっていきます。
そして二股城を手中にした武田勢はさらに南下して、徳川の本拠地である浜松城目指して軍を進めてきます。徳川勢+織田の援軍の1万1千、対して武田勢は3万という圧倒的な兵力差と2ヶ月すれば春がきて上杉や北条の攻撃を警戒して信玄も兵を轢かざるを得なくなるという予測から、徳川の重臣たちに加え、織田信長や織田の将も、浜松城での「籠城戦」しか取る戦法はないと考えているのですが、家康の選択した戦術は、ということで、「家康最大の危機」と言われた「三方原の戦」が始まります。
この戦は、信玄の老獪な手に家康が嵌って、多くの有力家臣を失う「大敗戦」となり、茂兵衛の恩人でもある夏目次郎左衛門や掛川城で共同して敵将狙撃の功をあげた大久保四郎九郎も、乱戦の中、命を落としています。
茂兵衛は、この二人の武将の遺体の埋葬を、その夜の犀ケ崖の銃撃戦の後で、三方ケ原の戦場に戻って行っているのですが、そこで憧れの女性・綾女の夫の危難を救うことになるのですが・・というおまけつきです。
レビュアーの一言>信玄軍追撃の真相は?
浜松城に籠城する予定の家康が一転して、信玄軍につっかかっていったのは、浜松城を素通りして三河本土へ向かう信玄に、自分が侮られたと憤慨しての行動という説があるのですが、筆者は家康に
信長の怒りは所詮明日の話じゃ。遠州侍の離反は今日の現実じゃ。今、目前にある危機に、ワシはどうしても対応せねなならぬ。ワシに遠州を手放す気はない。
と発言させ、さらに本多平八郎に
佐久間や滝川一益は、あるいは酒井や石川も追撃には反対するだろうが、信玄の行き先には徳川の故地、三河があるのだ。十五歳の我が子が、父の救援を待っているのだ。これを見殺しにするようでは家康の未来は暗い。誰も付き従わなくなるだろう。
と述懐させています。筆者の目には、家康の行動が激情に支配された捨て鉢なものではなく、三河・遠江の領国支配を睨んだ「やむを得ない行動」であったと移っているのではないでしょうか。
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