茂兵衛は家康の側近・馬廻役となるが、座り心地は最悪=井原忠政「馬廻役仁義 三河雑兵心得」

三河の国の、まだ小国の領主であった松平(徳川)家康の家臣団の最下層の足軽として「侍人生」をスタートさせた農民出身の「茂兵衛」。吹けば飛ぶような足軽を皮切りに、侍としての出世街道を、槍一本で「ちまちま」と登っていく、戦国足軽出世物語の第十弾が本書『井原忠政「馬廻役仁義 三河雑兵心得」(双葉文庫)』です。

前巻で、後北条氏との関係を良好に保つための沼田領をめぐる真田勢との関係がこじれて、勃発した上田城攻めに参加したのですが、「表裏比興之者」の名前に違わず、策略に優れた真田昌幸の采配で劣勢となった徳川勢の中の主人公・上田茂兵衛のその後と、豊臣秀吉とのかけひきが続いている徳川勢の苦労が描かれます。

あらすじと注目ポイント

構成は

序章 残された人々
第一章 俘虜記
第二章 茂兵衛の居場所
第三章 黄瀬川の宴
第四章 家康、秀吉に会う
終章 大改革

となっていて、前巻の最後で、真田勢の攻撃で落馬した部下の花井の救援に向かい、真田の足軽たちに襲撃された茂兵衛だったのですが、この戦闘で戦死した、と徳川方には伝わります。
それを聞いた、茂兵衛の昔なじみの隠密の元締め・乙部八兵衛は、茂兵衛の家を絶やさないため、茂兵衛と綾女との子供の松之助に家を継がせようとするのですがうまくいきません。まあ、これが結果としては幸いして、茂兵衛の家に波風は立たないこととなるのが茂兵衛の人徳というものなのでしょうか。

一方、戦死したと思われていた茂兵衛たちは、真田昌幸の嫡男・信之によって確保され、戸石城の土牢の中に囚われています。ただ、捕虜とはいいながら、信之の配慮で食料もきちんと与えられ、持っていた熊の胆も返却され、かなり手厚い待遇を受けています。

牢内で消耗することなく、傷を癒やすことができたおかげで脱出の機会をつかむことができるのですが、一番の収穫は、真田信之との信頼関係を構築できたところですね。
後に関ヶ原の合戦では、徳川方となる真田信之なのですが、今村翔吾さんの「幸村を討て」によると父・昌幸を上回る策士であった信之とのつながりができたことはこれからの茂兵衛の出世街道にプラスになるものと思われます。

中盤では、地震の騒ぎに乗じて戸石城の土牢から脱出した茂兵衛は、徳川勢に帰還したものの、足軽大将の席はすでに大久保忠世の部下によって埋められており、すでに帰るところはなくなっています。茂兵衛としては、大久保党の勢力拡大の犠牲となった形ですが、真田勢との対立が続いているなか空席にしておくわけにはいかない、という理屈には不満を言える状況ではなかった、ということでしょうね。

ここで無役となったことが幸いしたのか、家康によって馬廻役として抜擢され、家康の側に仕えながら、本多正信などの稀代の謀臣と知り合いになったり、徳川を裏切って豊臣へ走った石川数正の本心を知る機会を得たことは貴重な体験といえます。

もっとも、現場で足軽や鉄砲隊を指揮しているほうが性に合う茂兵衛は、権謀術数うごめく家康の側近の席はかなり居心地が悪そうです。

ただ、大久保忠世たちの現場組から距離をおいていたおかげで、徳川伝統の「三備」を廃止し、武田信玄ゆかりの「大番制」を導入する、大規模な兵制改革の中で、大抜擢をうけることになるのですが、その詳細は原書のほうでご確認ください。

Bitly

レビュアーの一言

小牧長久手の戦で実質的には優勢に戦を進めながら、織田信雄の腰砕けで秀吉と和睦した後、この物語の時代となる天正14年あたりまでの家康は、天正11年から12年のかけての大地震や大雨による被害の復旧と、拡大した領土の経営体制の確率に奔走していたと思われます。
畿内の豊臣秀吉の視点から書かれる歴史ものでは、東国へ領土を着々を拡大し、天下を狙って地力を蓄えていく家康が不気味な存在とそいて描かれることが多いのですが、実際のところは、急激な領土拡張で軋み始めていた徳川伝来の軍政や統治体制を急ピッチで大改造していた状況だったと思われ、家康はあいかわらず諸勢力のパワーバランスや臣下の対立の解消に悩まされていたと思っておいたほうがよさそうです。

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