項梁は反秦連合軍を立ち上げ、楚の反乱軍始動す=高橋のぼる「劉邦ーRYUHO」7・8

五百年以上続いた中国の戦乱を、その冷徹な指導力と秦国の武力によって、始皇帝が統一してからおよそ十年後、万里の長城や亜房宮の建設による重税と国民の強制使役による疲弊、焚書坑儒や滅ぼされた六カ国の遺臣たちに不満によって、秦国が倒れていく中、一介の庶民の出身からスタートし、楚の豪傑・項羽と争って勝利し、秦の後を継いだ漢帝国を打ち立てた「劉邦」の活躍を描くシリーズ『高橋のぼる「劉邦ーRYUHO」(ビッグコミックス)』の第7弾と第8弾。

前巻では、秦の始皇帝が死去し、跡を継いだ二世皇帝・胡亥の暴政の中、各地で反乱が起きる中、劉邦も驪山の始皇帝陵の建設に動員されていた労役人たちや沛の民兵に推戴されて、沛を中心とする地域の反乱軍の首領になったのですが、これから劉邦の戦いを支える名軍師を得たのもつかの間、秦の正規軍の攻撃が始まります。

第7巻 劉邦は幕下に軍師・張良を加え、項梁の反秦連合軍へ加わる

第7巻の構成は

其之四十七 老当益壮
其之四十八 無欲大欲
其之四十九 背信行為
其之五十  士納衝突
其之五十一 雨後晴天
其之五十二 馬鹿判決
其之五十三 孤軍奮闘
其之五十四 王族探索

となっていて、冒頭では秦の軍師であった「黄石公」を幕僚にすることに失敗した項羽は、楚の幽王の家庭教師をしていた「范増」を軍師として迎え入れます。対する劉邦のほうは、黄石公が兵法書を与えて、その才能を評価し、失敗したものの始皇帝暗殺を仕掛けた「張良」がその幕下に加わります。彼は、雍歯に奪われた豊邑の城と妻の呂雉を計略によって奪い返すなど、勇将・猛将はいても計略を立てることのできる劉邦軍内で軍師として大きな役割を果たすようになります。

そして、軍をまとめ直した劉邦軍、楚の項梁が反乱勢力に声をかけて、薛で開催した会盟に参画し、秦打倒軍に加わります。ただ、この「楚」という国は古い伝統や因習が残ったままになっていた国なので、武士階級と庶民階級との身分差意識が強く、項羽たち旧国「楚」の正規軍と農民兵との対立の溝は深まるばかりです。

この溝に橋をかけたのが、項羽と劉邦の「義兄弟の契り」なのですが、この陰には、項家繁栄を願う項梁の配慮があるのですが、その詳細は原書のほうで。

一方、反乱軍が乱立し、支配の基礎がゆらぎ始めている秦帝国なのですが、皇帝への阿諛追従と腐敗ぶりを示す「馬鹿のエピソード」が第7巻ではでてきます。この時に、宮廷を実質支配する「趙高」に逆らったのが、九卿の一つである「少府」を務める「章邯」です。彼は反乱軍制圧軍の指揮を任せられるのですが、自分へ反抗することに腹を立てた趙高によって、首都にいる兵士の動員を禁じられてしまいます。

反乱軍20万に対し、圧倒的に少ない鎮圧軍の兵士を彼が調達した手段は、驪山で労役に従事している三十万人の囚人たちで・・という筋立てです。

兵力を補うために囚人に目をつけるというのは、昔も今も変わらないようですね。

Bitly

第8巻 反秦連合軍は進撃を開始するが、秦将・章邯が立ちはだかる

第8巻の構成は

其之五十五 神技眼力
其之五十六 羊乳分離
其之五十七 空中白鶴
其之五十八 楚王即位
其之五十九 項家呪縛
其之六十  武人覚悟
其之六十一 絶世美女

となっていて、冒頭では、項梁の結成した反秦連合軍の旗頭となる人物を探して、会盟地・薛の北方の山奥の草原を旅している、劉邦と張良の姿から始まります。ここで、二人が会ったのが「心(しん)」という羊飼いで、旧「楚国」の最後の君主・懐王の孫にあたる人物です。「一切の欲望は捨てた」といって、羊飼いとして一生をおくるつもりの「心」を「楚王」の位につくことを決断した劉邦の「説得技」は、女湯ノゾキの共犯と、丹頂鶴の渡りを見てのある発言なのですが、その詳細は原書のほうで。

ここのところでは、「心」だけでなく、劉邦もある境地を見出しています。

「心」を祖父と同じ王号の「懐王」として、楚の国王として即位させた、項梁の反秦連合軍は今の山東省にある秦の要衝・定陶を陥落させるのですが、ここを奪還しようとやってきた秦の「章邯」軍と激突します。 

驪山の囚人兵を吸収し、陳勝軍を破ってきた章邯軍は、反乱軍がいままで戦ってきた新兵とは違って強兵そろいで、この「定陶の戦い」で、反乱軍は大敗し、大将の項梁が戦死してしまいます。

通説では偽りの敗走をしかけて項梁をおびき出し、夜襲をかけて討ち取ったとされているのですが、本巻ではちょっと違った仕掛けとなっています。

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レビュアーの一言

項梁の反秦連合軍の旗頭はなんといっても、武勇が比肩する者のいない「項羽」なのですが、襄邑の戦いで投降してきた3万人の秦兵を坑埋めにしたり、章邯軍に敗北して定陶から退却する時、城内の住民を皆殺しにして、焼き払うことを命じるなど、楚漢戦争の際に先鋭化してくる、その残虐さの片鱗をみせてきています。

張良はこの光景をみて「項家の凄まじさは一体、どこから生まれるのだろう」と嘆息しているのですが、楚の名家として代々、楚の民を支配してきた「名門」ゆえの「選民意識」が根っこにあるのでは、と推測する次第です。

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