「錯覚」だけが「人生」さ — ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」(ダイヤモンド社)

「人は見た目が9割」という本が2005年に大流行して、その後、2013年に「やっぱり見た目が9割」という続編がでて、かなり流行になった記憶のある人も多いだろう。この本の趣旨は、人が物事を判断するのは言語情報以外の容姿、表情、しぐさ含めたところで判断しているというものだったのだが、それに加えて、いや、それ以上に判断要素として「勘違い」、錯覚に着目したのが本書である。

構成は

おいしいのは「正しいとしか思えない間違っていること」
自分はハロー効果に騙されないと思っている人が騙される理由
学生と社会人では人生ゲームのルールが根本的に異なる
誰も卑怯と気づかない卑怯なやり方が最強の勝ちパターン
運ゲーで運を運用して勝つ方法
優秀な人間が運に左右されずに成功する方法
食欲でも睡眠欲でもない、性欲よりもはるかに切実な欲望
なんでも悪く解釈される人とよく解釈される人の違い
ダメなやつはなにをやってもダメという呪いの正体
自分の意思で選択しているとしか思えない
成果主義という名のインチキゲームの裏をかいて勝つ方法
幸運を引当てる確率を飛躍的に高くする方法
思考の死角に棲む悪魔の奴隷から主人になる
美しき敗者と醜悪な勝者、どちらになるべきか?
有能な人と無能な人を即座に見分けられるのはなぜか?
自分は公平だと思っているえこひいき上司の脳内
欺瞞が錯覚を大繁殖させる
思考の錯覚のまとめ
錯覚資産を雪だるま式に増やしていく方法

となっていて、筆者の「ふろむだ」氏は「分裂勘違い君劇場」の主宰ブロガーで、いくつかの会社を起業、うち一社は上場したという経歴の持ち主(であるようだ)。

さて、「実力主義の社会」を目指すというのが、最近のグローバル企業社会の日常化した言葉となっているのだが、その「実力主義」なるものの捲ってみてくれるのが、本書の主張の一つで

よい環境を手に入れられるかどうかは、実力よりもむしろ、錯覚資産によるところが大きいのだ。 なぜなら、企業は、実力のある人間を採用し、いいポジションにつけているつもりになっているが、実際には、ほとんどの場合、錯覚資産の大きい人間を採用し、いいポジションにつけているからだ。

ほとんどの人は、本当の実力など、わかりはしない。1時間や2時間の面接で、実力がわかるなどと思うのは、かなりの部分、思考の錯覚だ。ほとんどの人は、本当の実力ではなく、思考の錯覚で人を判断する。しかも、自分が思考の錯覚で判断しているという自覚がない

といったあたりには、「実力主義社会」という言葉が隠している一種の胡散臭さを追認してくれているようで、膝を打つ方も多いとは思う。ただ、本書の「人の悪い」ところは、その錯覚で判断する当人が、錯覚で判断しているとは思わないこと、あるいはそこに至る記憶すら自ら塗り替えてしまうということをはっきり言うところであろう。

そして

「なんだかんだで、優秀だった奴は、だいたい成功している」と我々が思っているのは、「成功した」という結果になると、「その人間は、昔から優秀だった」と記憶が書きかえられる からなんだ。 そして、「失敗した」という結果になると、「その人間は、昔からたいして優秀じゃなかった」と記憶が書きかわるから

といったところや、臓器移植を希望する人の割会が国ごとに非常に差が出るのは、国民性によるというよりは、提供意思を聞くカードの選択肢が、「低故郷する」にチェックをいれるか、「提供しない」のチェックをいれるかというチェック方式に違いによるものであるとして、

恐ろしいことに、人間は、判断が困難なとき、自分で思考するのを放棄して、無意識のうちに、デフォルト値を選んでしまうことが多い
(略)
現状維持と、それ以外の選択肢では、どちらがいいか、 単に直感で判断すると、直感的には、現状維持のほうがいいと錯覚してしまう

といったあたりになると、そもそもの我々の判断基礎自体がひどく頼りがなくて、いい加減なものであるように思えてきて、居心地が悪くなる。どうやら、我々の判断や行動は、様々な「認知バイアス」のもとになりたっていて、「才能のある、なし」ってのも、実は、そういう「錯覚」で成り立っているものが多いと認識させられるのだが、これは安心していいものやら悪いものやらわらなくなるな。

さて、「なんで、アイツの方が・・」と悩むことは、おそらくほとんどすべての人が経験しているはず。そんな時に、相手の幸運を妬んだり、自分の不運に悲しんだりしたり、黙々と「実力をつけること」に専念しがちなのであるが、本書によれば

自分に才能があるかないか? を悩む時間があったら、その時間を、単純に、試行回数を増やすのに投資したほうが、はるかに成功確率が高くなる
(略)
悩んでる暇があったら、1回でも多くサイコロを振ろう。これは 運ゲー なので、悩んで悩んで悩みまくってサイコロを振ったって、悩んだほどには、いい目が出る確率が高まったりはしない

と、とにかくチャレンジの回数を増やし、運良く成功したら、その「成功」したことを上手く使って

「実力中心」の世界観で生きる人間より、 「錯覚資産‐運‐実力」の世界観で生きる人間のほうが、 圧倒的に強い。

という心持ちでいるべきであるようだ。

さて、「錯覚」ということで、成功のからくりを解き明かしてみる本書は、足元をグラグラさせるところもあるが、なぜかしら「よっしゃ、錯覚を逆に利用してやろうじゃん」という妙な高揚感と爽快感を感じせてくれる。ご一読あれ。

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