戦で「風流」を尽くす「婆娑羅な男」の一代記ー大塚卓嗣「天を裂く」

戦国時代は、人の「総カタログ」でもあって、天下の覇者から、悲運の武将、裏切り者、日和見者などなど、小説や話の宝庫なのであるが、そんな中でも、その人物の人生をトレースしてワクワクするのは、本書『大塚卓嗣「天を裂く 水野勝成放浪記」(Gakken)』の主人公・水野勝成のような「婆娑羅者」であろう。

【構成は】

第一章 風狂
第二章 流転
第三章 血河
第四章 命の光
第五章 関ヶ原
第六章 友誼

となっていて、時代的には、織田信長が本能寺で斃れた後の甲斐の国でおきた「天正壬午の乱」のはじまりから、徳川幕府が成立し、水野勝成が福山の地を治めるまで。

【注目ポイント】

水野勝成の人生の前半は、水野家の嫡男に生まれて、若い頃にその武勲を信長に称賛された経歴からわかるように、かなりの武辺者である。
だが、その乱暴が災いして、父親から勘当、さらには、豊臣秀吉の勘気にもふれて大阪から逃亡、以後、四国、九州と各地の諸将のもとで戦績をあげながら、放浪を続ける、といった具合で、このあたりは乱暴者が大暴れといった感じで、例えば「小牧・長久手の戦」の場面

今も昔も、戦は最高の娯楽である。なにしろ数千数万の人間が、武器を手に取って 相 食むのだ。少し離れた所から見物する人々は、どこにでもいた。そんな衆の耳目 を 惹くことこそ、勝成の趣味であった。浴びる 喝采 が、たまらない。いつだって、そのための風流だった。

といった風で、戦場を格好の舞台とするよう、その暴れぶりが小気味いい。

ところが、再びの出奔を経て、備中(岡山県西部)の鎌倉以来の名家ながら落魄している「三村家」に仕官し、徳川家復帰後は芸風ががらっと変わる。「関ヶ原」では、石田三成の最後の逆転の策を見抜いたり、「大阪夏の陣」では

「真田の列を千切りたい。茶臼山を獲る」  勝俊は、奇妙な位置を狙うものと感じたのだろう。
「その理由は? 無視しても構わない衆です」
「騎馬が駆ければ、軍は伸びる。今の我らのようにな。それでいいんだ。疲れれば引くことができる。だが、後ろがなければどうなる?」
「当然、大軍の中で孤立します。そのまま潰されます
「そうだ。大御所様にまで、真田が届くかどうかは知らん。だが、やれることはやっておこう。我らの一撃で、真田を潰す」

つまり、万が一を考えての処置である。

と、真田幸村の大阪方大逆転の秘策を潰す、という巧みな「政治家」と「政略家」の側面が前面に出た、「ああ、差し手が盤面に乗って闘う碁はないだろう。そういうことだ」という言葉に似合った活躍ぶりが、また格好よいのである。

【まとめ】

「戦国歴史もの」の多くは、信長、秀吉といった綺羅星の全国制覇の話であるとか、武田、北条、浅井、といった彼らに押しつぶされた者たちの物語が多く、「立身出世」か「滅びの美学」か、といった視点にかたよりがち。
だが、ああいう煮えたぎった坩堝のような時代であるから、自分の才覚と思いに従って、大騒ぎしながら生き抜いた人物も当然いる。
さらには、現実の人生の場合、皆がトップにたてるわけではなく、多くの真ん中どころの多くの人々の参考になるのが、それが本書の主人公「水野勝成」であろう。
なんとなく、先行きが「もやもや」して消化不良気味の時の「消化薬」として本書を読んで、「戦国の婆娑羅」を服用してみてはいかがであろうか。

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