江戸時代の「情報屋」がシーボルト事件の真相に迫る=梶よう子「噂を売る男ー藤岡屋由蔵」

江戸時代後期の文政年間。第11代将軍・徳川家斉の統治下で化政文化と呼ばれた享楽的なお町人文化が咲き誇っていた時、幕府を揺るがす大スパイ事件「シーボルト事件」が勃発します。

一般的には幕府天文方の高橋景保たちがシーボルトに伊能忠敬が作製した日本地図を見せ、その写しを彼が日本国外に持ち出そうとしたことで、高橋はじめ多くの幕府役人や学者が処罰され、シーボルトが国外追放となった事件なのですが、この事件に隠された幕府の陰謀を、神田旅籠町の一角で商売をしている「情報屋」が暴いていく物語が本書『梶よう子「噂を売る男ー藤岡屋由蔵」(PHP)』です。

あらすじと注目ポイント

構成は

第一章 軒下の古本屋
第二章 記憶の底
第三章 阿蘭陀人江戸参府
第四章 頭巾の男
第五章 怒りの矛先
第六章 学者の妬心

となっていて、物語は、加賀前田藩の留守居役を務める「佐古伊之助」が、江戸家老からひどく叱責されているところから始まります。彼は、一年前に前田家に輿入れしてきた将軍・家斉の息女・溶姫付きの女中頭の弱みを探り出せ、という命令を家老から数月前に受けていたのですが、まったく成果が出せない状況に家老の雷が落ちた、というわけですね。

他藩の留守居役たちからの情報もなく、途方にくれる伊之助だったのですが、世間の噂話を売って商売にしている男がいるという噂を聞きつけて、御成道で店を開いている足袋屋の軒下で、筵の上に古本を並べている古本屋にやってきます。

その古本屋の主人・由蔵は、古本を売る商いと並行して、世間の噂話や風説、幕府の高札などありとあらゆる情報を集め、それを売って商売にしている人物です。伊之助は彼に、家老から命じられている女中頭の「スキャンダル」を調べてくれるよう頼み・・というところが、本編の主人公「情報屋。由蔵」の登場シーンです。

彼はもともと上州の中堅どころの生糸問屋の跡取りだったのですが、父親が病気の蚕を変種の蚕と勘違いして地元に持ち帰って、その病気を一帯に蔓延させ、養蚕業を営む多くの農家に大損害を与えたことから実家は破産。その後、江戸へでて、大奥の御広敷に出入りしている伊賀者あがりの口入屋・埼玉屋に拾われ、様々な人脈をつくって、情報屋を開業した、という人物です。

前半部分では、最初の加賀藩の留守居役・佐古伊之助への大奥の情報提供や、信州の小藩の留守居役への水戸藩の後継問題の情報提供、あるいは町奉行所の同心や瓦版屋への情報売りの様子が描かれ、アングラの商売ながら、由蔵の商売の意外な手堅さをうかがい知れます。

物語の本筋は、由蔵のもとへ、幕府の天文方をしているという「高橋作左衛門」という役人が、世間で自分のことが噂になっていないだろうか教えてほしい、という依頼をもってきたところから動き始めます。

実は由蔵は、阿蘭陀商館長(カピタン)の江戸参府のおり、国禁の日本の地図が何者かによって江戸城内から持ち出され、異国人に手渡されたという情報を、北町奉行の定町廻に売っていたのですが、高橋は、同じ天文方をしている実弟の渋川とともに、その当時、オランダ人たちの宿舎となった薬種商の「長崎屋」を表敬訪問しています。

ひょっとすると、この地図の漏洩には、天文方をはじめとする幕府の役人が関わっているのでは、と調べ始めると、自分のことが噂になっていないかと訪ねてきた高橋が、黒装束の男たちに付けられている、と由蔵の長屋へ助けを求めてきます。高橋は、カピタンの江戸参府の折、ある人物に頼まれた風呂敷包みを長崎屋に投宿するオランダ人に渡した、と打ち明け、それが今回の発端ではと告げるのですが・・といった展開です。

由蔵は高橋を高橋の屋敷まで送り、そのことを加賀藩の留守居役の伊之助に伝えるよう、口入屋「埼玉屋」に出入りしている由蔵の弟分・清次に頼み、彼を走らせるのですが、その清次が途中で何者かに襲われて刺殺されてしまいます。

この後、高橋作左衛門の長崎屋訪問の真相救命や地図漏洩に関連して、樺太探検で有名は探検家で実は幕府の隠密であったらしい間宮林蔵や、北町奉行所の役人たち、さらには江戸町年寄の一つ喜多村家がからんできたり、と大事になってくるのですが、詳細は原書のほうで。

レビュアーの一言

由蔵が情報を売る相手は、佐古伊之助のような大名の留守居役など市中の動向や幕府の動きの最新情報を入手しておきたい武家のほか、「読売屋の仙太」のようないわゆる瓦版屋のようなのですが、瓦版で売れ筋の記事は

①火事や地震の災害情報

②仇討ち

③心中事件

といったものだったようです。

こうした瓦版の情報は飛脚によって、各地方へも運ばれていたようですが、飛脚が江戸hwやってきて飛脚問屋で話す各地の情報も瓦版のネタ元との一つであったようです。

瓦版は元禄の頃からすでに発行されていたようですが、大量に出版されるようになったのは天保の頃からといわれていますので、この物語の時代と近しいところですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました