女の三人旅は、いつの時代も大騒ぎなのだ ー 朝井まかて「ぬけまいる」

舞台となるのは、弘化二年(1845年)の江戸。「弘化」のいうのは、ちょうど天保から嘉永の間、出来事的には、天保の改革、蛮社の獄、天保の飢饉と、いった天災人災の多かった「天保」と、黒船来航・日米和親条約といった国際的な出来事のある「嘉永」に挟まれて、少し地味な時代である。ちなみにWikipediaで調べてみても、目を引くような記述はない。

そんな時代に、三十歳近くなった、一膳飯屋の娘・お以乃、御家人の妻・お志花、小間物屋の女主人・お蝶の三人の幼馴染、通称「いのしかちょう」が、突然思い立って、伊勢参りにでかけるのだが・・・、といった感じで展開するのが本書『朝井まかて「ぬけまいる」(講談社文庫)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

一 木の芽どきは
二 とびきり
三 渡りに舟
四 抜け駆け
五 良し悪し
六 悪しからず
七 なめんじゃねえ
八 のるかそるか
九 しゃんしゃん

となっていて、「ぬけまいる」というのは「抜け参り」のことで、親や主人、村役人に無断で家を抜け出し、伊勢神宮への集団参詣で、「お陰参り」ともいったもの。だいたい60周年周期で大発生したようで、本書の舞台の弘化二年の近くでは、約15年前の天保元年(1830年)に大流行したようで、その時は420万人余がお詣りしたようですね。

もっとも、「弘化」の頃はお蔭参りという風習があったにせよ、大流行の年回りでもない。そんな時に、当時は年増の部類に入る三人の女性が、お陰参りに出かけるというのは、それなりに、暴発する鬱憤やこらえきれない屈託があってしかるべきなのだが、「衝動にかられて」という印象が拭えない「暴走」の結果である。

それは、例えば「お以乃」の場合は、母親の経営する一膳飯屋「こいこい」を手伝いながらも、「何者か」に成り上がることを夢見ていたのが、黄表紙の版元に務める弟にこてんこてんに貶さプライドをずたずたにされてことであり、「お蝶」の場合は、生家の小間物屋を身を粉にして大きくしたのに、いつの間にか「商売の鬼」扱いされて、実家の親や兄弟、はては旦那や子供が一緒に出かける計画の草津旅行から除け者にされていた、というものなので、まあ、もうちょっと我慢すれば・・、と言いたくなるようなものでもある。(もうひとりの「お志花」は、もうちょっと込み入った事情があるのだが、そこは原書で)。

ただ、この三人、度胸がよくて博打には負けることのない「お以乃」、色っぽくて男を手玉にとることでは並ぶもののいない「お蝶」、若い頃は剣の修業に明け暮れ、そこらの道場の師範顔負けの腕前の「お志花」という、一癖も二癖もある女性たちなので、その旅のほうも、とんでもなく破天荒になるのは間違いない。

それは例えば、神奈川と保土ヶ谷の宿で、巡礼姿の江戸のお嬢様たちの団体が、三人から小遣いをだまし取ったり、多額の宿代を付け替えてきた仇を桑名でとったり、一文無しになったのをきっかけに、小田原の団子屋や島田の小間物屋を大繁盛させたり、といった具合である。

極めつけは伊勢で、昔繁盛していたのに寂れてしまった老舗の旅館の窮地を救うところで、この旅館をのっとろうとする悪党と「お以乃」が花札の勝負をするところは圧巻ですな。「手本引き」という昔懐かしい勝負の場面が描かれているのも珍しいですね。

【レビュアーから一言】

江戸から伊勢へ旅をする途中、箱根の関所の近くの宿で、主人公の一人「お以乃」は

背後から、今度は羽織をつけた男が出てきた、着物は鰹縞で、江戸では鯔背な火消しが好んで着る柄だ。
(略)
男は上背もある、目元もきりりと引き締まった二枚目だ。

という清水湊の米穀問屋の主人・長五郎と知り合って恋仲になるのだが、これが最後の伊勢の場面をさらに盛り上げる道具立てになってますね。そして、「清水湊」「長五郎」というところでなにか気づかなかった人は原書でご確認を

ぬけまいる ~女三人伊勢参り~ [DVD]
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