鳴神響一「謎ニモマケズ 名探偵宮沢賢治」シリーズ=岩手の生んだ国民的童話作家・詩人の宮沢賢治の謎解き物語

岩手県が生んだ有名な童話作家・詩人ときいて、真っ先に思い浮かべるのが「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」を著した「宮沢賢治」という人が多いのではないでしょうか。
宮沢賢治は熱心な仏教(法華経)信者で、極端な菜食主義者であるとともに独身主義者としても有名なのですが、そんな彼が「名探偵」となって、彼の周りにおきる事件の謎を解いていく「歴史ミステリー」のシリーズが、鳴神響一さんの「謎ニモ負ケズ」シリーズです。

あらすじと注目ポイント

「謎ニモマケズ 名探偵宮沢賢治」=旧ロシア帝国の公女を救い出せ

シリーズ第一作目の『「謎ニモマケズ 名探偵宮沢賢治」(祥伝社文庫)』の構成は

序 夜空の大鯰
第一章 タヂカラオ
第二章 ナターリア
第三章 神の火

となっていて、年代的には大正9年(1920年)の夏ごろ、宮沢賢治はその年の5月に盛岡高等農林学校の研究科を卒業し、農学校の助教授就任の話もあったのですが、父の要請で辞退し、実家の質屋を手伝っています。

家業を継ぐのに積極的でなかったので、宮沢賢治は手伝いに身が入ることはなく、この時期、ロシア正教会をロシア語を習いに頻繁に訪れているようですね。

そこで、「真っ白な顔に金色の金壺眼、大きな鼻と険しくひき結んだ口元、黒い髪を振り乱した」大男がシャンデリアの鎖を切り、その下敷きになって協会のペトロフ司祭が死んでいるのを発見する、というのが事件の発端です。

この後、警察に勾留されて厳しい取り調べを受けるのですが、釈放後、家族が自分のことを心配しているところを案じるあたりは、父親との仲もこの時期はそんなに悪化していなかったのかもしれません。
そして、物語の方は、この地を訪れていた「遠野物語」の著者である柳田国男に知己を得て、彼が連れてきていたロシア人の美少女・エルマを紹介されるのですが、彼女が司祭を襲った男の仲間たちに連れ去られてしまうところから、少女を取り戻す冒険ものへと展開していきます。

実は彼女は1917年に二月革命によって崩壊したロシア帝国の王室ゆかりのナターリア公女で、彼女をアメリカへ亡命させようとする勢力と、彼女をロシア本国へ連れ戻そうとするボルシェビキの勢力が、日本の東北地方でせめぎ合っていることが判明してきます。さらにナターリーア公女を略取したのは、ボルシェビキと対立しているはずのポーランド勢力であることもわかり、一挙に国際政治が絡んだサスペンスものの様相を呈してきます。

賢治は、地元の農家の出身で山の地理をよく知っているマユや白系ロシア人のニコライ、日本政府の諜報組織の軍人で記者に扮している雪本たちと、ナターリア公女の捜索のため、大槌街道を界木峠へと分け入って行き・・という展開です。

Bitly

「飛行船月光号殺人事件 謎ニモマケズ」=飛行船内の密室連続殺人の謎を解け

シリーズ二作目の『「飛行船月光号殺人事件 謎ニモマケズ」(祥伝社文庫)』の構成は

序 十三夜に煉獄を見た男
第一章 飛行船月光号、清風に飛び立つ
第二章 月には群雲、花には嵐
第三章 月を指せば指を認む
第四章 月満ちればかけるが如し
第五章 月の前に一夜の友
第六章 巨船、夕闇に降り立つ
終 薫風過ぎゆく朝に

となっていて、プロローグでは昭和3年におきた衛生疫学研究所の火事でそこに勤務していた医師や看護師が焼死するというエピソードが語れらています。当然、謎解きのヒントになっていくエピソードなので覚えておきましょう。

本編のほうは、昭和5年。日本初の飛行船の事業展開が行われる旗艦となる「月光号」の記念飛行に宮沢賢治が招待されるところから始まります。招待されているのは。当時のセレブたちばかりで、宮沢賢治は父親が飛行船会社の株主であったため招待状を手に入れることができた、という理由です。

そして、乗船後、賢治は招待されているセレブたちの様子を眺めながら、乗船時に知り合った帝国女子医専の学生の最勝寺薫子や、取材のため乗船している市川夏彦、航空隊の飛行船隊長や逓信省の書記官たちと船上生活を楽しみます。セレブの中には、貴族やその取り巻き、大正バブルによって財をなした成金も登場してきていて、「大正モダン」「昭和モダン」の雰囲気が漂っていますので、歴史好きにはたまらないところかもしれません。

しかし、この優雅な飛行船旅行も、乗客の一人である華族の一色子爵が自室で刺殺されるところから連続殺人事件が発生していきます。そして、その殺人現場には殺人の理由を象徴しているかのようなタロットカードと便箋に書かれた斬奸状が落ちていて、という展開です。

飛行船は離陸したままなので、犯人はこの飛行船内にいるはずで・・という筋立てですね。

少しネタバレしておくと、この連続殺人は、一種の「復讐劇」なのですが、殺人自体にフェイクが仕掛けられているのでご注意くださいね。

Bitly

レビュアーの一言

宮沢賢治は、熱狂的な法華経信者として知られているのですが、それとあわせて極端な「菜食主義者」としても知られています。
本書でも、飛行船内で出された食事で
肉や魚が苦手な賢治だったが、スープの舌ざわりとのどごしは大いに気に入った。
本式の料理は、スープ、鮭のスモーク、ハムのサラダ、チーズとソーセージの盛り合わせ、冷肉と続いた。賢治がフォークをつけたのは、チーズとサラダくらいであった。それも、細かく刻まれたドイツハムをきれいに取り除いた上で、である。
といった具合に表現されています。後に肺炎になって病臥するようになっても、栄養をつけるようにと差し入れられる鶏卵も牛乳も拒否して菜食主義を貫いたそうなので、彼の病が重くなっていったのは必然だったのかもしれません。ひょっとすると、彼が可愛がっていた、早逝した妹「トシ」の後を追っていたのかもしれません。

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