立花宗茂の大軍と国友の巨砲の攻撃を、穴太衆の城壁で守り抜け=今村翔吾「塞王の楯」

百年以上続いた日本の戦国時代の末期。鉄砲の普及によって、急速に城の構えが土塁から城壁に変わりつつある中、戦を無くし、民の平穏な暮らしを守るため、どんな攻めも跳ね返す究極の楯である石垣をつくることを志す穴太衆の飛田匡介と、どんな城も落とす究極の鉄砲をつくろうとする国友衆の国友彦九郎。若きリーダー二人による、天下分け目の関ケ原合戦の重要な前哨戦となった「大津城」を舞台にして、職人同士の戦いが描かれる直木賞受賞の戦国小説が本書『今村翔吾「塞王の楯」(集英社単行本)』です。

ちなみに「塞王」というのは、村落のはずれにあって悪伸の侵入を食い止めている「塞の神」を、穴太衆が組む石垣になぞらえたもので、穴太衆の中でも伝説的な技術をもった職人頭に冠される称号のようです。

あらすじと注目ポイント

構成は


第一章 石工の都
第二章 懸(かかり)
第三章 矛盾の業
第四章 湖上の城
第五章 太平揺る
第六章 礎
第七章 蛍と無双
第八章 雷の砲
第九章 塞王の楯

となっていて、本編の主人公となる飛田匡介はもともとは越前の生まれで、織田信長が姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍を破り、その勢いで朝倉の居城・一乗谷に攻め込み、朝倉家本家を滅ぼしたときに、父母と妹を失った戦争孤児です。その時に、朝倉家から頼まれてやってきていた近江の穴太衆の飛田屋の当主で、「塞王」と呼ばれている飛田源斎に拾われ、「岩を見る」才能を見出され、成長後は、石垣造りで天下に名をとどろかす穴太衆飛田屋の後継ぎとなっています。

この飛田屋に、太閤秀吉から「伏見城」の移築による石垣構築の注文と京極高次から大津城の石垣修復の注文が同時に入ったところから物語が動き始めます。この時期、匡介は「頭領」になる前の最終修行で、石組みをする「積方」の仕事を離れ、石を切り出す「山方」や切り出した石を石組みする現場まで運ぶ「荷方」の見習いに出ていたのですが、そこで語られる山方や荷方の仕事の様子や、飛田組が過去に引き受けた荒木村重の「村岡城」の城壁の構築や、本能寺の変のすぐ後、畿内征圧を目指す明智光秀が大軍を擁して攻めかかる日野城の城主・蒲生氏郷から受けた城壁の石積みの様子などで、穴太衆の仕事がどんなものかわかってくるので、ここらは丁寧に読んでおきましょう。

ついでに言っておくと、この日野城に攻め込んできた甲賀勢を撃退した「匡介」のアイデアが後に伏見城の戦や大津城の戦で「災い」となって還ってくることとなります。

で、舞台は大津城へと移ります。注文の規模からいくと、本来なら穴太衆飛田屋の頭領である源斎が請け負うレベルのものだったのですが、それを上回る伏見城の城壁修復の仕事が入ったため、跡取りである「匡介」に仕事が回ってきた、という経緯です。

こで匡介は、絶世の美女といわれる妹の「達子」が秀吉の愛妾となり、妻に淀君の妹である「お初」を娶ったおかげで、功績以上の加増・取り立てを受けたことから、閨閥という「尻の光」による出世をとげた「蛍大名」と中傷される京極高次とその妻の初と出会うこととなります。

戦国時代に一国持ちの大名から九州攻めの不手際から改易され、再び復活して徳川秀忠の相談役まで成り上がるというジェットコースターのような浮沈の多い武将人生をおくった仙石久秀を描いた『宮下英樹「センゴク」』シリーズでは京極竜子は、気が強くて茶々たちの姉貴分の寵妃ながら秀吉の被虐愛の対象となっていたり、京極高次は目まぐるしく動く政治情勢に翻弄されていたり、といった様子に描かれているのですが(詳しくは、当ブログの「センゴク」シリーズのレビューを読んでくださいね)、本書では、高次は武芸のほうはさっぱりながら、領民を慈しみ、さらにそのドジさ加減を臣下たちから慕われている人物に、お初は美貌は淀君より少し劣るかもしれませんが、明るい活発な性格で、城垣修繕の工事現場に気軽にやってきたり、職人たちの昼飯の炊き出しも指揮するといった女性に描かれています。

ここらは二人共、敗戦や落城の経験からきているように推察したところです。

中盤部分では、この大津城の城壁の補修で、今まで空堀としてしか使えなかった外堀に水を引いて大津城を難攻不落の「水城」に変身させようと工事が始まります。しかし、水を持ってくる琵琶湖は大津城の下方に位置していて、「水は高いところから低いところに流れる」という不変の原理の逆をいかなければならないのですが、匡介の考案した驚くべき方法は、ということで飛田組が大津藩にしっかりと受け入れられていきます。ここらは、飛田組が後になぜ決死の覚悟で大津城の要請を受けたのかの前ぶりとなっていて、作者の手練の技が見事です。 

また、ここで本書後半でのライバルとなる鉄砲鍛冶の国友組の国友彦九郎が登場し、彼の「究極の武器ができれば戦はなくなる」という現代の「核抑止」の理論に近いことが語られていて、国友と穴太の「矛」と「楯」の和平論の対立も読みどころです。

後半部分では太閤秀吉によって成立していた「平和」が、彼の死によって揺らぎはじめ。世情が一挙に戦争へと向かっていきます。

ここで飛田組へ徳川方、大阪方双方から誘いがかかるのですが、まず、匡介の師匠・源斎が、太閤秀吉からの伏見城を鉄壁にしてくれという遺言に応えて伏見城へ入ります。また匡介は京極高次の要請を受けて大津城に。これだけ読むと、飛田組は大阪方に付いたようにみえるのですが、実は伏見城には徳川方の鳥居元忠が守将としてはいっており、京極高次は最初、大阪方に付いていたのですが、大津周辺を徳川軍との決戦場にするという石田三成の策に反発し徳川方に寝返ったため、一転して、大阪方が大勢を占める近畿の中で、離れ小島のように、大阪方の大軍によって囲まれ攻撃の的となります。

伏見城が石田三成軍の攻撃と国友彦九郎の新式銃によって陥落した後、西国の猛将といわれ大阪方の中心武将である立花宗茂と毛利元康の大軍によって攻撃されるのですが、匡介率いる飛田組の「懸」による石組みの防御と、城内に京極軍の守りによって立花・毛利軍をよすけません。そこに現れたのが国友彦九郎が秘密兵器として製造した巨砲「雷波」です。

はたして、京極高次とお初の大津勢と匡介率いる飛田組は、立花宗茂の激しい攻めと彦九郎の巨砲による城への砲撃をくいとめ、徳川家康率いる東軍が関ケ原に到着するまで持ちこたえることができるのか、大津城を舞台に知謀あふれる攻防が繰り広げられていきます・・というところで詳細は原書で。

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レビュアーの一言

本書は単純に「楯」である城壁が強いのか、「矛」である鉄砲が勝るのかといった優劣論を越えた「戦国物語」となっているのですが、そこを離れて史実的なところでは、関ケ原の合戦には、この大津城を攻めていた西軍一の好戦派といえる立花宗茂軍と毛利元康軍が参陣できず、石田三成率いる西軍の大きなアゲインストになったのは間違いありません。

特に、信濃の方では、真田昌幸・信繁によって、上田城に豊臣秀忠の大軍が釘付けにされ結局、関ケ原の合戦に間に合っていないので、大津城の降伏がもう少し早ければおそらく戦況のほうは西軍有利に動いていたのではないでしょうか。

戦後の徳川方の京極高次の優遇は、名家好みの家康の趣味だけではないように思えます。

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