幕末の四大道場といわれ心形刀流の伊庭道場の宗家の生まれで、新選組の沖田総司と並び立つ、幕府側の凄腕剣士である幕府遊撃隊隊長・伊庭八郎を主人公にした幕臣側の幕末ストーリー『岡田屋鉄蔵「無尽」(少年画報社)』シリーズの第10弾。
前巻では将軍・家茂の上洛に随行が決定し、その準備を進める中、従妹の礼子との婚礼話もでてきていたのですが、京都と大坂に滞在して将軍の警護と長州征伐に出発の待機を続ける中で、ある不幸が伊庭家を襲ってきます。さらに徳川幕府のほうも、欧米列強と西国の薩摩・長州に翻弄され、朝廷との交渉に消耗していく将軍・家茂の姿が描かれます。
あらすじと注目ポイント
前半部分では、三度目の上洛を果たし、孝明天皇に面会した家茂が長州征伐の早期実施と攘夷の敢行を迫られる場面から始まります。先の長州征伐の敗戦処理は三家老の処断と謝辞文の提出という処置で終わっていて、長州藩がそのまま存置されているのが、朝廷と幕府との折衝窓口となっている、一橋卿には納得できず、その裏に薩摩藩が絡んでいるのでは、と薩長に対する疑念を深めています。ここで、その疑いが顔色にでるところが、同じ疑いを持ちながらも、表面はにこやかにしている将軍・家茂との性格の違いですね。
中盤部分では、大坂に滞在している伊庭家の武司と義蔵の様子が描かれます。伊庭八郎のように奥詰衆として将軍の警護の任についていない二人の仕事は、長州征伐までの時をまってひたすら「英気を養う」というところで、稽古の合間には、大坂の町を散策して、姉の礼子への土産の櫛などを買い求めたりしている、少し、のんびりしたものなのですが、そうした中、大坂に滞在している幕府軍の侍に絡まれている町娘を助けたことから、思ってもみないとばっちりが「義蔵」を襲うこととなります。義蔵の突然死は、この後、伊庭家に大きな影を落としていくことになります。
一方、政治情勢のほうは、家茂が京都へ上洛しているの好機として、イギリス、アメリカ、オランダ、フランスの4カ国が、下関戦争での長州の賠償金の支払いをめぐって、賠償金の免除と引き換えに「大坂・兵庫の開港」「通商条約締結の勅許」の承諾を求めて、横浜から大坂湾へと艦隊を動かします。将軍の裁可を仰ぎ、そこから朝廷への協議が必要、と時間稼ぎを図る幕閣たちへの威圧でもあるのですが、この動きは、今までの激務でストレスを抱える家茂の心身にさらに大きな悪影響を及ぼすこととなりますね。
この様子を見て、家茂が倒れてしまう、と案じる一橋慶喜なのですが、周囲も幕臣や御典医たちは事態をそこまで深刻に考えていないため、ますます家茂への負担は大きくなっていきます。慶喜は家茂の負担を軽くしようと策をうっていくのですが、彼の明晰な頭脳と分析からの斬新な策に幕臣たちはついていけなくて・・という展開ですね。このへんは、後の「大政奉還」のことを想像させるシチュエーションです。
そして、幕府をさらに揺さぶろうと、おそらくは薩摩が背後で糸をひいている公家たちの策謀で、欧米列強の四カ国の対応にあたった阿部・松前両老中の官位はく奪と謹慎を命ずる通達が発出されたことから、家茂は、天皇と朝廷、一橋慶喜を震撼させる、ある行動に出て・・というところで詳細は原書のほうで。
レビュアーの一言
京都・大坂での争乱は、江戸のほうではまだ及んでいないようで、豊原国周や歌川芳畿や月岡芳年たち絵師仲間が居酒屋で浮世絵談義をしている場面が登場してきます。
市中の娘たちの話題の中心は国周の描いた澤村田之助の役者絵のようですが、芳年は「武者絵」それも、伊庭八郎の出陣姿を描きたい、と鳥八十の鎌吉のもとを訪ねて、激励されるという設定にもなっています。
月岡芳年は、明治七年ごろに伊庭八郎の絵を描き上げているのですが、本シリーズの作者はこれが一番、本人に近いのではと絶賛していますね。ちなみに第一巻の表紙絵は月岡芳年の画からの写し絵だそうです。
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