井原忠政「羆撃ちのサムライ」=猟師となった戊辰戦争の生き残りの再生物語

幕末明治の歴史小説や漫画は、たいてい幕末の京都か江戸城明け渡し、あるいは会津の白虎隊全滅といったところがメインで、その後の東北戦争から箱館戦争といったところまで描かれるのは稀なのですが、そのさらに後、箱館戦争で榎本武揚が新政府軍に投稿し、賊軍の敗残部隊として残された一人のサムライの姿を描くのが本書『井原忠政「羆撃ちのサムライ」(河出文庫)』です。

あらすじと注目ポイント

構成は

序章 敗残兵
第一章 ユーラップ川の畔
第二章 森に生きる覚悟
第三章 新しい時代
第四章 猟師のけじめ

となっていて、伊庭八郎の部隊の生き残りである千二百石の三河以来の旗本で御書院番士の次男・奥平八郎太が箱館戦争後の敗走中に、ユーラップ川近くの笹薮の中で、大きな羆に襲われているところから始まります。

彼は兄・喜一郎と後輩の本多佐吉とともに新政府軍から逃走していたのですが、その途中で佐吉は膝を撃ち抜かれて動けなくなってしまい、彼も新政府軍に撃たれた右肩の銃創が化膿し、瀕死の状態となっています。

このため、兄には先に行ってもらったところで羆に襲われ、命を落とすところを、この地で猟師をしている鏑木十蔵という男に助けられます。彼はもとは庄内藩の鉄砲方だったのですが、酔ったうえでの喧嘩で同僚を斬殺してしまい、使っていた火縄銃を手に班を蓄電した、という人物です。その後、北海道まで逃げ落ち、そこで女郎をしていたのですが労咳で死にかけの病状であった喜代という女性を見受けして妻として暮らしています。

この二人に命を助けられた八郎太は、彼らの住む小屋で、銃創の治療を受けながら、十蔵から猟の手ほどき、特に十蔵は「羆(ひぐま)」撃ちの名手であったため、その技の手ほどきをうけながら、猟の手伝いをしながら暮らしていく、という流れです。

八郎太は十蔵に命を助けられたときから、幕府軍、特に自決した師である「伊庭八郎」に殉じなかったことや、佐吉を見捨てて羆の餌食としたことを悔やんでいて、さらに北方に逃れ新政府軍に歯向かって死ぬことを願っているのですが、十蔵には八郎太に自分の技をすべて伝授し、後継者とするつもりです。

八郎太の頑なな心も、十蔵と喜代の暮らしの中で、ゆっくりと解きほぐされていくのですが、十蔵が八郎太との「羆猟」の中で語り、猟のコツやヤマメやイワナ釣りと燻製づくりなどの自然の中の生活や野生の獣たちの話がかなりマニアックで、ハマること間違いなしですね。

そして、十蔵の死後、その跡を継いで「羆撃ち」の猟師となった八郎太は、冬ごもりをしている羆の巣穴を見つけ、羆をおびき寄せて打つ「穴熊猟」で、多くの羆を仕留め、名人とも言われるようになるのですが、ある時、母子の羆を見つけて狩ろうとするのですが、子熊を仕留めたものの、母熊を逃してしまいます。

足の指を失い、手負いとなった母熊は、子熊の仇をとろうとしてか、近くの村を徘徊し、幼女を襲い、人喰い熊となってしまいます。羆を手負いにしてしまったときは、それを仕留めて殺すのが羆撃ちの猟師の責務とされていて八郎太へ向けられる村人たちの視線も厳しさを増していきます。戊辰戦争から数年経過し、江戸も遠くなった今、ある決意をこめて八郎太は母羆に対峙するのですが・・という展開です。

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レビュアーの一言

本巻は戊辰戦争の幕臣側の生き残りとして、明治の世の中に背を向けて「羆猟師」として生きてきた幕臣が紆余曲折の末、新時代を受け入れていく物語なのですが、そのバックグラウンドとなっている北海道の自然が素晴らしいですね。管理人は定評のある「羆」との対決の場面と合わせて、ヤマメとイワナの釣りと燻製の場面がたまらないのですが、皆様はいかがでしょうか。

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