甲府勤番還りの旗本大家の店子はいわくつきの曲者ばかり=井原忠政「うつけ屋敷の旗本大家」

幕府の直轄領である甲斐国の甲府城に常駐し、城の守備や兵糧米の管理や武器の管理、甲府地域の統治に従事した「甲府勤番」というお役目は、出来の悪い幕臣や素行不良の旗本が命じられる役職でもあったので、当時「山流し」と呼ばれて、改易一歩手前の左遷の典型的な仕事とも言われていました。

そんな「甲府勤番」の職務を、遊び人で酒好き・女好きの父親に代わって、五年間務めてやっと江戸へ帰還を許された「大矢小太郎」が実家の旗本屋敷に帰ってみれば、拝領地のあちこちに貸家が建てられた一大アパート群と化していて、という江戸後期を舞台に、トラブル続きの旗本大家の生活が描かれるシリーズの第一弾が本書『井原忠政「うつけ屋敷の旗本大家」(幻冬舎時代小説文庫)』です。

あらすじと注目ポイント

構成は

序章  おくり狼
第一章 家主の帰還
第二章 店子たち
第三章 刺客
第四章 反撃の家主
終章  困窮の真相

となっていて、冒頭では、江戸へ帰還できることになった五百石取りの旗本・大矢小太郎が甲州街道を江戸へ向かっているところから始まります。彼は、放蕩者で有名だった父親・官兵衛が素行不良を咎められて「甲府勤番」を命じられた際に、家督を引き継いで身代わりに赴任してきていたのですが、老中・本多豊後守の伝手で行ったら最後、還れないといわれた甲府から五年ぶりに帰還を許されたという設定です。

甲府は本来、徳川幕府に万が一のことがあったときに、将軍が避難する土地として想定されていた甲府城が立地する要地なのですが、農地が痩せていたため、農民の一揆が多く、さらに博徒も多い「難治の地」でもあったので、幕臣たちは「甲府勤番」をとても嫌がって、病気や年老いた両親の世話などありとあらゆる理由を使ってなんとか逃れようとしたようです。父親の不行跡の身代わりに赴任した小太郎は「親孝行の鑑」といっていいですね。

この甲府からの帰還の道中、黒野田宿と駒飼宿の間、現在の山梨県大月市と甲州市の境界にある笹子峠で、何者かに銃撃され命を落としかけます。銃撃の原因は、本巻の最後のほうで明らかになるので覚えておきましょう。

道中での銃撃を、懐に抱えた一分金の「切餅」のおかげで切り抜けた小太郎は、日野宿を経て、日本橋の屋敷へと帰ってくるのですが、そこで彼が見たのは、屋敷地に建てられた数軒の二階建ての建物です。どうやら、父の官兵衛が、生活の足しにと、出入りの札差・相模屋から金を借りて、貸家を建てて店子を入れ、小太郎が甲府で扶持米だけの貧乏暮らしをしている間、かなり優雅に暮らしていたようです。しかも、借金の担保に相模屋の娘を、小太郎の嫁にとるという約束までしているようです。

借金と嫁とりの話を勝手に決められて困惑する小太郎だったのですが、さらに、貸家の店子というのが、月に数度、博打場を開帳している博徒の親分一家、顔を合わせると喧嘩の絶えない、昔売れっ子の絵師と役者、大塩平八郎の乱に呼応して桑名で兵をあげた生田万に師事し、世直しを心に秘める儒学者、夜な夜な猫や犬を捕まえて腑分けをしている蘭方医、そして、老中・本多豊後守のお妾さんで、武家あがりの元深川芸者、といった個性あふれすぎるメンバーばかりです。

そして、甲府勤番を無事終えたところで、本多老中と父の官兵衛が若い頃、同情仲間であったことや、現在、お妾さんの住居のお世話をしているという弱みをつかんでいることを使って、御書院番士のお役目につけてもらえないかと依頼するのですが、ここで老中から、家を貸している博徒の親分たちを退去させるの条件だと言われてしまいます。

小太郎と官兵衛は、博徒の親分、危険思想をもった儒学者、腑分け疑惑の蘭方医の追い出しにかかるのですが、これが相当の難事である上に、小太郎が謎の刺客に襲われて大怪我を負うという事態が起きてしまいます。

実は、小太郎には、官兵衛にも家臣にも内緒にしている、甲府勤番当時のある隠し事があって・・という展開です。堅物の真面目なばかりの若侍という印象の小太郎の別の側面が後半で明らかになってきます。

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レビュアーの一言

幕臣である旗本・御家人の副業というと、その広大な屋敷地を利用しての、朝顔栽培や躑躅(つつじ)栽培が盛んで、大久保の鉄砲百人組屋敷の躑躅や下谷の御徒組組屋敷での朝顔が特に有名ですね。時代小説でも、梶よう子さんの「朝顔同心」で朝顔をつくる北町奉行所同心・中根興三郎、坂井希久子さんの「居酒屋ぜん屋」の鴬の鳴き声指南の旗本の次男坊・林只次郎などが浮かびます。

江戸ではないのですが、奈良県の大和郡山市のシンボルともいえる「金魚」も、郡山藩三代藩主の柳沢保光が、藩士の生活の助けとして金魚飼育を奨励したのが始まりと言わrていますし、将棋の天童駒も、天童織田藩で将棋駒づくりが内職として奨励されたことがもともとの発端ですね。

そして、屋敷の遊休地を使った貸家業というのも、本来は屋敷地は幕府からの拝領地(借り地)なので、他人に貸す家などの建築は許されていないはずなのですが黙認状態だったようですね。借り手は儒学者や医者などの身元のしっかりした人が多かったようですが、家賃を高くとれるところから幕末時には博徒が借りていたこともあったようですね。ちなみに蛮社の獄で指名手配となった高野長英が宇和島から江戸へ還って潜伏していたところもアオヤマ百人町にあった幕臣の屋敷地内にある貸家だったそうです。

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