業界の裏事情的なネタも楽しい「絵画ビジネス」殺人事件をどうぞ ー 一色さゆり「神の値段」(宝島社文庫)

芸術大学出身で、学芸員もしている筆者による「絵画ビジネス」の絡んだミステリーである。一般の人にはとんと縁遠い「絵画ビジネス」の世界を舞台にしたミステリーはあまり見かけたことがないので、絵画業界の裏事情的なところを垣間見せてくれるだけで、設定としては十分魅力的な仕立てである。
 

【構成は】

 
章立てにはなっていないが
 
・主人公がインク・アートの画家・川田無名の専属ギャラリーのブラックで泣きそうな環境にめげずに働くところ
・画廊の主人の永井唯子の死亡と旦那・佐伯が彼女の事業の承継
・無名の未知の大作「1959年」の香港オークションでの入札
・唯子のギャラリーの店仕舞と唯子を殺害した犯人の判明
 
という4つのパーツに分かれている。
主人公は田中佐和子という女性で、美大出身者。就活中に、川田無名の専属ギャラリーの経営者・永井唯子にスカウトされ、唯子のギャラリーの駆け出しから中堅へ移行中の画廊スタッフである。彼女の父親は京都の美術館の館長で、彼女が学芸員にならずにギャラリーに勤務したことを残念に思っている、という設定であるのだが、特段、佐和子に不思議な才能が隠されているわけでもなく、ミステリーのメイン・キャストとしては平凡である。
ただ、本書が異色であるのは、学芸員出身の著者の知識や経験が存分に散りばめられているところで、画家の専属ギャラリーを中心とした、一般には知られていない「絵画ビジネス」を内側から描いている上に、その内容もかなり微細な部分にも及んでいるところは、門外漢には目新しい聞いたこともない知識に目がくらんでくる。
どちらかというと「役柄」より「舞台」で読ませるミステリーといっていいかな。
 
 

【注目ポイント】

 
大筋的には、起きる殺人事件はギャラリーに経営者・永井唯子の絞殺という一件だけで、しかも殺人現場はギャラリーの絵が保管されている倉庫なのだが、いわゆる密室モノではない。この倉庫で、被害者は画家の「無名」と会うこととなっていたようで、無名が犯人ではと疑いがかかるのだが、無名の所在は警察すらも突き止めることができないままといった展開で進んでいく。
 
この話をリードしていくのが、無名のデビュー当時の「1959」という作品で、生前、唯子は、この絵画を香港でオークションにかけようとして中止している。彼女の遺志と作家の意向を汲む感じで、ギャラリーの経営を引き継いだ唯子の夫・佐伯は香港のオークション・ハウスにこの作品を出品する。さて、この入札の行方は、そして唯子殺人は、本当に無名なのか・・・といった感じで展開していく。
 
もっとも、絵画ビジネスの世界にうごめく怪しげなブローカーやとんでもない金持ちなのだが人格的にはどうか、というような収集家とかは登場するのだが、けして、この業界の「社会悪」をどうこうしようというものでもないので、血湧き肉躍るストーリーというわけではない。
ではあるのだが、行方はおろか生死すら明らかでない画家「川田無名」の行方や、唯子を殺した真犯人が明らかになる最後まで読ませてしまうのは、随所にはさまれてくる、「絵画業界」の裏事情的なところが随所に散りばめられているせいで、例えば、
 
たとえばTHSJという登録番号につづく一列目の835という番号は、まさにそのgファイルにあるような技法の種類を意味している。二列目から五列目が使用する墨、紙、硯、筆を、つぎが描かれるべきモチーフや構図を、最後は作品サイズの号数を意味している
 
といった風な、作者の所在不明のままで、メールの指示によって作品をつくりあげる川田無名の「工房」の姿であったり、
 
アートフェアの魅力のひとつに、美術館では取り上げられないような最新かつマニアックな作品を一度に沢山見られる、という点がある。そこでしか得られないお宝を求めて、世界中からアートを愛するコレクターたちが一堂に集まり、広大な会場で熾烈な奪い合いをくり広げ、良質な作品を少しでも賢く買おうとする。購買欲の旺盛うなコレクターたちを満足させるため、参加すギャラリー側も各自のブースに最高の作品を持ち寄る。
 
といったように、当方のような一般人は美術館でしか見えないような絵画が出品される「アートフェア」というものを含んだ特殊な世界が微細に描かれているし、さらには、香港のオークションハウスで、上海の大金持ちで「無名」の収集家のラディが、なかなか札をいれない状況が
 
賢いビッダーは最後の最後に参戦して、ほんの数回しかパドルを挙げないものさ。逆に何回も挙げていては他のビッドを煽るだけで、オークションハウスの思うつぼだ。
 
と評される場面では、まるでオークション会場にいるかのような臨場感を味わわせてくれるのである。
 
そして、ちょっとネタバレなんであるが、唯子が殺害された倉庫に残されていた複数の絵画を見て
 
作品を箱のなかで固定するために背面を紐で結ぶやり方が、普段の私や松井のやり方とは異なっている。それに合わせ箱の蓋が外れないように箱の外側をぐるりと囲っている、白い紐の結び目もかなり固めで形も見たことがない。
 
と佐和子がつぶやくところに殺人事件解決の糸口があるので、注意しておいてくださいな。
 

【レビュアーから一言】

 
「神の値段」というのは、物語の最後にほう、主人公と彼女の父親との会話の
 
「価格というのは、需要と供給のバランスに基づいた客観的なルールから設定される。一方で値段というのは、本来価格をつけられないものの価値を表すための、所詮比喩なんだ。作品の金額というは売られる場所、買われる相手、売買されるタイミングによって、常に変動し続ける」
「じゃあ、あの作品につけられたのは、値段」
(略)
たしかにオークションに出品するというのは、無名本人が決めたことだった。
「だからあの落札額は、まさに神の値段だったわけだ」
 
といったところに由来している。『「神」が何を示すのか?』は、本書を読んで、それぞれに考えてくださいな。
物語の展開としては、主人公の佐和子が、「無名」の作品をめぐる大きな渦に巻き込まれて、振り回されながらも、最後には犯人に行き着くまで、怒涛の勢いで展開していくので、こちらも振り落とされないようについていきましょう。
ただまあ、本書にでてくる絵画の値段は、当方には0の数が多すぎて茫漠としたおもいにかられたのでありました。

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