近くへ忍び寄ってくる冷気系の「怪異譚」はいかが=芦沢央「火のないところに煙は」

東京で作家業を営む「私」のもとへ、「小説新潮」から「許されようと思いません」の再校ゲラの校正を終えた時、「怪談」をテーマにした巻に、新潮社の位置する神楽坂を舞台にした短編小説を書きませんか、という「私小説」的な出だしで始まり、筆者の経験談っぽいものから、それをきっかけに手繰り寄せられてくる「怪談」を集めた怪談集が本書『芦沢央「火のないところに煙は」(新潮文庫)』です。

本書の紹介文によると

「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」突然の依頼に、作家の〈私〉は驚愕する。忘れたいと封印し続けていた痛ましい喪失は、まさにその土地で起こったのだ。私は迷いながらも、真実を知るために過去の体験を執筆するが……。謎と恐怖が絡み合い、驚愕の結末を更新しながら、直視できない真相へと疾走する。読み終えたとき、怪異はもはや、他人事ではない――。(解説・千街晶之)

となっていて、ミステリ×怪談の、奇跡的融合で注目された作品です。

あらすじと注目ポイント

構成は

第一話 染み
第二話 お祓いを頼む女
第三話 妄言
第四話 助けてって言ったのに
第五話 誰かの怪異
最終話 禁忌

となっていて、一話一話が独立した怪異譚でありながら、リレー式につながって一つにまとまった長編となっています。

まず第一話の「染み」は、新潮社からの怪談の執筆依頼を受けて、筆者が学生時代に経験した怪異譚を思い起こすところから始まります。

当時、筆者は実用書や雑学本を出版している中野にある出版社で働いていたのですが、学生時代の友人・瀬戸早樹子から、自分の担当したオカルト本の筆者である「榊桔平」という人物は、いいお祓いの人を知ってしないだろうか、と相談されます。内容をきくと、早樹子の友人で、広告代理店に勤務している角田さんという女性の相談事で、彼女は早樹子から「神楽坂の母」という占い師を紹介され、結婚を考えていた彼氏との将来を占ってもらいます。

しかし、その占いでは「不幸になるから、結婚しないほうがいい」というもので、その占い結果に怒った彼氏は占い師を罵倒し、見料も払わずに出ていってしまいます。それがきっかけに角田さんは彼氏への恋愛感情が冷めていき、彼女から別れを切り出すのですが彼は承知しようとしません。そして、ある日、車で運転中、神楽坂の坂でハンドル操作を誤って死亡するのですが、それから、角田さんの担当する、交通広告に赤い「染み」がイカびあがるようになってきます。そして、その染みを拡大するとそれは小さな「あやまれ」という言葉で構成されたもので・・という筋立てです。

その相談から数日後、角田さんは、突然、悲鳴をあげて車道へ飛び出し、車にはねられて死んでしまうのですが、一見、死んだ彼氏の「呪い」と思われていた怪異は実は別の意味をもっていて、という展開です。この話は、ここで終わらず、作者の身近に忍び寄ってくる怪異があるので、最後まで油断しないでくださいね。

第二話の「お祓いを頼む女」は、作者の執筆した「染み」の怪異譚を読んだ知り合いのフリーライターの鍵和田君子さんの体験談です。

十年前の夏の終わり頃、君子さんのところに、「ファン」を自称する女性から「お祓いをしてほしい」という依頼の電話が入ります。彼女によると、狛犬の尾っぽを踏んでから不幸が続き、ついには家族にもそれが及んできた。夫は、自家用車で帰宅途中になにかをはねたのですが、そこには子犬の首輪のような短い革のベルトだけが残されていて何もないという怪現象に遭遇するし、息子は夜中に家を脱け出して、家の近くを歩いているところを発見されるのですが、ボロボロになったお守りをもって、脚にひどい痣ができています。

女性は、この家族へふりかかっている呪いを祓ってくれ、と頼んでくるのですが・・という展開です。この二人の父子の謎は「榊さん」によって解き明かされるのですが、不気味なのはその後日譚ですね。

第三話の「妄言」では中古ながら、マイホームを埼玉県の郊外に購入した若夫婦が、親切で話好きな隣人の中年女性と近所付き合いをしていくうちに、彼女の妄想に基づく噂話に、妻が影響されて、夫婦仲がどんどん険悪になってきます。そして、殺人の現場を見た、と言い立てる隣人女性に対し、夫は彼女を突き飛ばすのですが、不幸なことに、彼女は石段に強く頭を打ち付けてしまい・・という展開です。

ここまでだと、単なるご近所トラブルの話なのですが、隣人女性の「妄想」の正体がわかると、ちょっとぞっとするかもしれません。

このほか、火事に巻き込まれて焼け死んでいく夢をみるようになった女性が、家族にそれを打ち明けると、義母も同じ夢をかつて見ていて、そのうち、人影が近づいてきて「助けてって言ったのに・・」と怨みごとをいう夢に変化していくよ、と教えられ怯える日々を過ごす「助けてって言ったのに」とか、大学に入学して住み始めたアパートで、自室にでる高校生くらいの女子の霊を祓うために行った「お祓い」が引き寄せる災厄を描いた「誰かの怪異」を経て、最終話の「禁忌」で、一見、偶然に集められたと思われていた「怪異譚」の共通点んと最後の「怪異」が語られます。

レビュアーの一言

怪談というと、井戸から女性の怨霊らしきものが這い出てきたり、廃屋を徘徊する何か、といった物理系・実体系のものが多いのですが、今巻は心理系の恐怖を描いた怪異譚が中心となっていて、Amazonのレビューも好悪両極端に別れているようです。

個人的には、冷気が忍び寄るようにしわしわと周囲を満たしていく感じで好きなのですが、最終話を経ても、怪異が晴れないというホラーは、ネタ割れしないところがかえっていろんな連想を呼んで、ある種のミステリーファンにはおススメです。

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