高田崇史「源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義」=6年におよぶ中世の大戦乱「源平合戦」はなかった

2022年のNHK大河ドラマは、三谷幸喜さん脚本、小栗旬さん主演の鎌倉幕府創設の中心人物である北条義時を描いた「鎌倉殿の13人」なのですが、その鎌倉幕府は、初代将軍・源頼朝が父・義朝が平治の乱で平清盛に敗れたものの、清盛の義母・池禅尼の懇願で命を助かったのがすべての始まりといっていいでしょう。

平家を滅ぼすそもそもの原因となる頼朝の助命をなぜ池禅尼は清盛に懇願したのか、にはじまって、義経はなぜ怨霊とならなかったのかなど、平安末期の争乱の陰に隠れている源平合戦と鎌倉幕府創設の真相を明らかにしていく歴史ミステリーが本書『高田崇史「源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義」(講談社文庫)』です。

あらすじと注目ポイント

構成は

プロローグ
三月十三日(土)赤口・神吉
三月十四日(日)先勝・黒日
三月十五日(月)友引・十死
三月十六日(火)先負・月徳
三月十七日(水)仏滅・大明
三月十八日(木)代案・神吉
エピローグ

となっていて東京の麹町にある日枝山王大学の民俗学を教えている教員(執筆当時の大学の役職に忠実に「助教授」となっています)である小余綾俊輔が大学をさる前の数日間を舞台に、彼の信奉者である「堀越誠也」と「加藤橙子」が小余綾の指示に従って、源平合戦ゆかりの地を尋ねて、フィールドワークを行って、日本史の通説として伝わっているいる源平合戦の「嘘」を暴いて、歴史の真相に迫っていく、というストーリーです。

フィールドワークで訪れる場所は

兵庫県の「一の谷」古戦場

山口県の「壇の浦」古戦場

頼朝の父・義朝が騙し打ちで討たれた愛知県「野間」

源頼政が敗れた京都「平等院」

頼朝が幕府を開いた神奈川県「鎌倉」

といったところで、いわゆる「源平合戦」~「鎌倉幕府創設」の重要スポットです。

ここで、「堀越誠也」と「加藤橙子」が持ち帰ったデータをもとに、小余綾が再構成した歴史の真相は

・鵯越の戦功は実は義経のものではなかった

・安徳天皇は女性だった

・木曽義仲は田舎者でも暴君でもなかった

・義経が平家戦で使った卑怯な戦術はでっちあげ

といったトンデモ説が連発されていくのですが、もっとも強烈なのは、源頼朝ー源頼家ー源実朝という鎌倉幕府将軍家の家系を絶やしたのは、北条時政や政子、義時の謀略とはよく言われるのですが、そこから「源平の戦」という戦争は存在しなくて、実は東国に地盤をおく平家と西国に地盤をおく平家の「平平の戦」だった、といった説も飛び出してきますので、歴史の秘話好きにとってはたまらないものがありますね。

極めつけの「池全尼はなぜ頼朝を自分の命をかけて助命したのか」という本書の冒頭ででてくる謎については、池禅尼は実は「平氏」の系統の女性ではないというところから、源氏や平氏だけではない、日本古来から勢力を保ってきた名高い「名族」の生き残り策を見破っているのですが、詳しくは原書のほうでお確かめください。

Bitly

レビュアーの一言

本書の最後のほうでは、傲慢で暴虐のため将軍位を追われたとされる二代将軍・源頼家の悪評判は実は、頼朝亡き後、合議制を敷いて権力を分け合いたい十三人の重臣たちによってでっちあげられたものでは、といった話が紹介されています。源平合戦から鎌倉時代初期にかけては、平氏の滅亡や義朝系の源氏の途絶、大庭、三浦、梶原、比企、伊東といった武家の大物一族の滅亡が相次ぐ、戦国時代顔負けの血なまぐさい時代であったようですので、あながちこれもフェイクとも言いきれないところも。

「鎌倉殿の13人」のドラマを、権謀術数渦巻く「政治ドラマ」という視点から眺めてみるといいかもしれません。

【スポンサードリンク】

コメント

タイトルとURLをコピーしました