柚月裕子「盤上の向日葵」=名駒を抱いた白骨死体の謎解きの鍵は、天才棋士の半生に隠れている

「検事の本懐」など刑事事件を扱う、検事あがりの敏腕弁護士を主人公にした「佐方貞人」シリーズや暴対法成立前の広島を舞台に暴力団系列の金融会社社員の失踪事件を追う刑事や、暴力団の抗争を描いた「虎狼の血」シリーズなど、「男の世界」を舞台にした骨太ミステリーでおなじみの柚月裕子さんの描く将棋ミステリーが本書「盤上の向日葵」(中公文庫)です。

あらすじと注目ポイント

物語の冒頭は、大手新聞社主催の将棋タイトル戦「竜昇戦」の第七局が開催される山形県天童市へ、二人の刑事、石破と佐野がやってくるところから始まります。この対局は、7つあるプロ将棋のタイトルのうち6つを保持する「若き天才」と呼ばれる壬生芳樹竜昇と挑戦者である、実業界から転進して特例でプロになった棋士・上条圭介六段との間で戦われるもので、今回、刑事たちが事件の鍵を握る人物として狙いを定めているのは、二人のうち、上条六段のほうです。なので、壬生龍昇のモデルであろう羽生十九世名人や藤井竜王のファンは御安心ください。

本巻の設定では、上条六段は長野県出身で、貧しい家庭環境に育ち、苦労して東京大学に入学し、卒業後が外資系企業を経てIT企業を起業した後、その企業を数十億で売却後、アマチュア棋士としてアマチュアのタイトル戦を総なめし、26歳までに四段昇格というプロ棋士になるための奨励会のきまりを特例的に乗り越えてプロ棋士になったという変わり種です。

一方、上条に狙いをつける石破は、昭和のおっさんそのままの凄腕刑事という筆者好みのシチュエーションなのですが、佐野のほうは将棋のプロになれるぎりぎりの26歳まで奨励会で頑張っていたのですが、四段に昇格できず挫折の末、刑事になったという若手刑事です。

石破は口が悪く、嫌味な性格で人づきあいが悪く、その上、上司のいうことを聞かないが捜査の腕は県警いち凄腕と評判の埼玉県警捜査一課の刑事で、所轄署の刑事である佐野が彼と捜査本部でペアとなるのは異例の事なのですが、これは今回の事件が、埼玉県内の山中で埋められ、白骨化している死体が発見されるのですが、その死体が鑑定価格600万という高価な将棋の駒を抱えていたという猟奇事件であったため、将棋界に詳しい佐野が抜擢されて石破と組まされた、というわけですね。

そして、物語のほうは、妻の死後、酒浸りで息子へのDVを繰り返す父と二人暮らしの少年期の上条桂介の生活と白骨死体の被害者の身元の捜査や遺体が抱えていた初代菊水月の駒の出処を調べる二人の刑事の様子が並行する形で描かれていきます。

桂介の物語のほうは、食事も満足にとれないほど育児放棄されていた小学校時代に、リサイクルの古紙収集場所から、上級者向けの将棋雑誌を持ち帰ったことがきっかけで、地元の小学校をリタイアしてた元校長先生・唐沢と知り合い、孫同様に可愛がられ、学校の勉強を教わったり、将棋の指導を受けながら、頑なな心をだんだんと開いていく上条の姿が描かれます。ここで、大学進学記念に唐沢から贈られた将棋の駒が今巻の事件の謎解きの鍵となっていくので、この少年期の物語は丁寧に読んでおきましょう。事件の謎解き以外にも、才能ある少年の成長物語が心地いい仕上がりになっています。

明晰な頭脳と将棋の才能を成長させた桂介は、奨学金を得て、東京大学に進学するのですが、偶然入った将棋道場で、賭け将棋で生計をたてているのですが、負けがこんで東京を離れていた「東明重慶」という「真剣師」と出会い、彼と行動をともにすることとなるのですが・・という筋立てです。東明と出会った後、上条は、地方の将棋愛好家のところで、伝説の真剣師といわれた人物と東明との七番勝負の席に立ち会うこととなるのですが、ここで、東明に騙されて、唐沢から贈られた大事な駒を手放すことになり・・という展開をしていきます。

この物語の重要なファクターとなる「東明重慶」という人物は、アマチュア最強といわれ、賭け将棋で生計をたてる真剣師としても伝説的な強さを誇った「小池重明」をモデルにしている感じで、彼の浪費碧と酒に溺れた様子や寸借詐欺のエピソードと被るところがありますね。

そして、大学を卒業して、手放した駒を、起業して得た大金で買い戻した桂介だったのですが、起業で成功し金持ちとなった彼のもとに、酒で身を持ち崩していた桂介の父が金をせびりに現れます。父親が生きている限り、金をむしり取られていくのだろうと暗澹となる桂介のもとに、姿を晦ましていた東明が現れ、ある提案をもちかけるのですが・・という展開です。

本巻では、桂介の生い立ちと成長後のエピソードはいくつかの塊で語られていて、合間に、名駒の出処を追っていく刑事たちが出会う駒のエピソードや、プロ棋士を目指しながら志敗れて刑事となった佐野の思いとかが挿入され、将棋に絡みながらも、それだけではない人間模様が描かれていく名作ミステリーに仕上がっています。

ちなみに、表題にもある「向日葵」とは何を意味しているのか、は原書のほうで直にお確かめください。

Bitly

レビュアーの一言

本巻の謎解きのキーとなるのは「将棋の名駒」なのですが、調べてみると11世紀ころにはすでに今の駒の形と同じ五角形をしたものが発掘されています。戦国大名であった朝倉家の一条谷館跡からも発掘されていますし、徳川家康は諸大名への進物品として多数つくらせて所蔵していたようですね。

現在、駒の9割を生産する山形県天童市には18世紀頃、製法が伝わり、藩財政のひっ迫していた天童藩が、当時流行していた将棋に目をつけ、駒製作を武士の内職として諸嬉したことから始まっているようです。

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