「嘘は許せない」と「嘘も方便」の折り合うところはどこ?=中野信子「フェイク」(小学館新書)

昔からウソや偽物による詐偽商売は数知れず起きていますし、最近では、新型コロナの感染拡大や、国の中での意見対立の激化による分断にあわせて「フェイクニュース」が様々なところで問題視されているのですが、一向になくなるどころか増える一方といっていいでしょう。
そんな「ウソ」を仕掛けてくる人から身を守るるとともに、ウソと賢く付き合っていく方法を脳科学の立場から分析、考察したのが本書『中野信子「フェイク」(小学館新書)』です。

あらすじと注目ポイント

構成は

第一章 何のために人はウソをつくのか
第二章 人はなぜ騙されるのか?
第三章 社会性とウソ
第四章 生産的ウソの効用と活用法
第五章 悪意のあるウソ
第六章 歴史から見るフェイクの活用例
第七章 嘘とどう付き合い、生きていくのか

となっていて、第一章から第三章までが、なぜ人はウソをついたり、フェイクをしかけてしまうのかの分析、第四章から第六章までがウソの実例とウソからの身の守り方、そして第七章がまとめ、といった構成です。

最初に紹介しておきたいのは筆者は全てのウソを「悪そのもの」「世の中から根絶すべきもの」とは考えていないというところです。
それは社会的な潤滑油という面だけなく

動物も敵から身を守るための擬態や擬死、さらには、捕食者からヒナを守るために親鳥がする擬傷など、ウソをつくことが知られています。模序通り体を張ったウソでし、これはすべて「種を守るため」のウソです。
であるならば、私たち人間も、ウソをたくみに操る能力を進化させ、生き延びてきたと言っても過言ではありません。
(中略)
人間はむしろ積極的に、ポジティブにウソを利用しながら、集団を保持し、人間関係を構築してきたとも言えるのです。

といったように、人間が生き延びてきた中で、必要不可欠なものとして、身に着けてきたものという認識で、ここらはいわゆる「正義派」からがカチンとくるところかもしれませんが、当方的にはフムフムと納得してしまうところです。

そして、人がなぜウソを受け入れてしまうのかということについても、その人の弱さとか知識不足だけではなく

自分にとって興味や関心の度合いが高く、かつより不確実な内容であるほど」デマは尋がしやすくなる

であったり、

脳は自分でゼロから決めていくよりも、命令されることを心地よく感じる傾向があります。自分で考えずに、誰かからの命令に従うことは、脳の省エネ策であり、人間の本能、生理的機能の表れでもあるのです。
またあまり深く考えずに直感的に意思決定をする。もしくは蓄積した知見から、近しいものを選び出して思考のテンプレートに当てはめ、それを解とするような意思決定を行うこともあります。
いずれにせよ、「脳は騙されたがっている」という性質があることは忘れずにいたほうがよいでしょう。

といったところは、「騙される」ことが人間の生物学的な宿命であるような気さえしてきます。

ただ、これが悪いことばかりかというとそうでもないらしく

人間の長い歴史の中で、集団ごと滅びてしまわないための、恐らくリスクヘッジとして、個の決定が尊重されるようになったと推測できるのです。
人間が集団をつくり、集団の意思をもつというのは、とりも直さずそれが生存戦略として最適だったからでしょう。一方で個人の意思を尊重するという特殊な二重の意思決定システムを選択しているのが私たち人間なのです

といったことなので、ここは「人類」の生存戦略として「ウソ」が組み込まれていると、積極的に考えるべきなのかもしれません。

ただ、そうはいっても騙されて割を食ってばかりはいたくない、というのが人情というもので、「ウソ」のうちでも「悪意あるウソ」の有り様やそれから身を守る手法については第5章や第6章が参考になるので、ここは原書のほうで自ら確認してくださいね。

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レビュアーの一言

本書の最後半で騙されやすい人と騙されにくい人との大きな違いは「メタ認知」の強さの度合いであるとの話が出てきます。メタ認知とはここでは「自分を俯瞰してみること」、「自分が認知していることを、客観的に認知すること」で、要は、自分が騙されるかもしれないことや、判断力が鈍っているかもしれないことを素直に認められることが大事に思えます。

メタ認知を担う脳の部位はオトナになっても神経細胞が新しく生まれてくる部位らしく、何歳からでも成長させることができるそうなのですが、歳をとったり、地位が上がるほど「オレは間違ってない」という思いが強くなるのは間違いないので、そこは余計に「メタ認知」を鍛えることに努力したいところですね。

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