警察から送致された犯罪者の刑事訴追の全権を掌握する検察庁は、正義の砦であるとともに、司法試験に合格した優秀な法曹たちの出世欲と権勢欲の渦巻くところでもあります。そんな中で、出世や異動に興味をもたず、「罪はまっとうに裁かれるべき」をモットーに、孤高の捜査と訴追指揮をとる検事「佐方貞人」の活躍を描くシリーズの第2弾が、『柚月裕子「検事の本懐」(角川文庫)』です。
シリーズとしては、検事時代のある事件に不満を抱き、弁護士となった佐方が、痴情のもつれによる殺人事件と、飲酒運転事故の揉み消しの真相を同時に暴いて、「まっとうな裁き」につなげていく、「最後の証人」(角川文庫)が第一作なのですが、検事時代の活躍を描くシリーズとしてはこれが第1弾になります。
あらすじと注目ポイント
収録は
第一話 樹を見る
第二話 罪を押す
第三話 恩を返す
第四話 拳を握る
第五話 本懐を知る
となっていて、時間軸設定としては、主人公の佐方が北海道大学を卒業して一留後、司法試験に合格して任官して三年後に、物語の舞台となる米崎地検に赴任したての頃から始まります。
第一話の「樹を見る」は、まず県下の警察署長が集まる県警本部の合同会議で、昨年から、米崎市内で起きている連続放火事件の解明が進んでいないことを、県警本部長、県警刑事部長が会議の席上で非難する場面から始まります。この連続放火事件を管轄する米崎東署の署長が南場警視で、彼は刑事部長の佐野と同期で若いころから出世競争をしてきたライバル関係にあったことから、目の敵にされている、という設定で、物語はこの南場署長の目線から語られていきます。
このため、あらゆる警察内の会議の席上で、この放火事件の捜査が進まないのは、米崎東署員の能力不足、ひいては署長・南場の無能のせいであるかのように皮肉られ、東署の捜査員は必死の思いで捜査を続けていたのですが、ようやく、その被疑者らしい男を捕まえることができた、という展開です。
この被疑者・新井のアパートからは放火時の動画など証拠物件も多く押収され、彼が犯人に間違いないと確信した米崎東署は、勇んで米崎地検に送致するのですが、新井は18件起きている放火事件のうち、親子三人が焼死した13件目の事件だけは自分の犯行ではない、と否認します。
残りの17件は、人の住んでいない建物への放火ばかりで、17件目が犯行に含まれているかどうかは罪状に大きく影響してくるため、南場署長たち警察関係者は、刑を軽くするための言い逃れだと考えるのですが、事件の担当検事となった佐方は、13件目の放火が、他の放火と違い、敷地の中に入り込まないと放火できない家であったことにひっかかり・・という展開です。
柚月裕子の人気シリーズ「検事シリーズ」は、任官したての若い佐方の「拘り」からスタートしていきます。
第二話の「罪を押す」は、シリーズの主人公・佐方の検察著の上司・筒井の視点から語られます。地方の検察官が扱う事件には、何度も同じ犯罪者がからむ案件もあるようで、今回はそのうちの「ハエタツ」というあだ名の窃盗犯・小野の物語です。
彼は現在50代半ばの男で以前から少額の窃盗や無銭飲食といった微罪の常習犯で、娑婆と刑務所をいったりきたりしているのですが、三年前に筒井が起訴して実刑を受け、刑期を終えて出所後すぐの貴金属店から、若者好みの腕時計を万引きして捕まり、出所後すぐのに送致されてきたものです。
小野のは出所前に、生き別れになっている家族からの手紙が届いていて、その手紙で家族からの絶縁の内容が書いてあったらしく、それが再びの犯行に駆り立てた、との見立てなのですが、事件を担当した佐方は、小野から腕時計を盗んだ経緯などを聞取りし、小野に届いていたその手紙を読んだところで、彼の犯行ではないと主張します。
小野は自分の犯行だと認めているのですが、佐方はどこから小野の無実を確信しているのか・・という展開です。
少しネタバレしておくと、ちょっと歪んだ形の子供愛というところでしょうか。
第三話目の「恩を返す」は、佐方が少年から高校生までを過した広島の同級生の苦難を救う話です。その同級生・天根弥生は、若いころに無理やり撮影された裏AVをネタに広島の呉原西署の札付き警官から強請られているのですが、高校時代の「親友」だった佐方に助けを求めてきた、という展開です。
悪徳警官の弱点をついて、同級生の危難を救う、佐方の動きは見事なのですが、少しダーティーなところがあるのは否定できませんね。
さらに、彼が父親の事件で、世間に反発していた学生時代の様子が、天根弥生の口を通して語られていきます。そして、弥生が佐方が約束した「約束じゃ。この借りは、必ず返す」という言葉の元となった事件とは、というところで詳細は原書のほうで。
このほか、全国の検察から応援が集まって、検察あげての特捜本部体制が敷かれた贈収賄事件における佐方の隠された活躍が、臨時的に相方となった山口地検の書記官の視点から描かれる「拳を握る」や、依頼主の財産を横領して、弁護士資格をはく奪され、実刑を受け、獄中で病死した佐方の父親の事件の真相を、雑誌記者がつきとめていく「本懐を知る」などが収録されています。
レビュアーの一言
この「佐方貞人」シリーズのうち、本巻は次巻以降の検察事務官・増田の視点に固定して物語が語られるのではなく、単話ごとに語り手がかわるという設定がとられていて、その語り手も、上司の検察官しあったり、派遣仕事で一緒になった他支部の検察事務官であったり、高校時代の同級生の美容師であったり、と立場も年齢もバラバラです。
そのおかげで、主人公・佐方の「ぶれない」感じが欲出ていると思います。友人としてつきあっていくにはちょっと辛いかもしれないが、部下として仕事を任せておける、ただし、手綱をひこうとおもってはいけない、そんな優秀だが扱い難い人物像がしっかり描き出されています。
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